Dominique Nachi

ロマンについて

はじめに

私が突然ロマンについて考え始めたきっかけは、ロマンが私にとって実はとても大事なことのように感じたから。私は長編小説を書いているので、一日の大半は現実にはない世界を思い描いている。アートでは存在しえない世界を作り出すことができる。私はそのような世界、あるいは生き方をロマンなしで語ることはできないと思った。

私にとってのロマンのルーツ

私のロマンのルーツは習字、硬筆にある。私は幼いころから筆圧が濃くて、指にマメができて変形してしまうほど、字に情熱を込めるタイプだった。一つ一つの字に魂を吹き込む、それが習字、硬筆の基本的な姿勢だ。そして私はその文字の原理を延長して文章を書くと言う作業においても、一つ一つの文章に魂を込めていきたいと思うようになった。

だから私は、三島由紀夫やアントナン・アルトーのような、文と肉体が見わけのつかないくらい文に命をかけているような文学本が好きだった。私の本名も「智文」で、生まれた時に与えられたこの「文」が私にとって人生と同じくらい大きなテーマだった。

このように私のロマンのルーツは文字に息を吹きかけることであり、肉体が指先を通して、その文字に私の存在と同じくらい漲る活力を与えることであった。

趣味ではなくてロマンだということ

私は「趣味」という言葉が昔から嫌いで、What’s your hobby?と聞かれても答えがなかなか出ない。面倒くさい性格なのです。というのも趣味というとなんだか暇な時間にやっている程度のライトなニュアンスをどうしても感じてしまう。ポールダンスは趣味かと言われても、本気で取り組んでいるのだと言いたくなる。カクテルだって趣味ではなくて私のパッションだ。何事もやるならとことん突き詰めたい私にとって、趣味というリクリエーション的な言葉はどうも私の人生の何にも当てはまらないように感じるが、あえて言うなら映画を見ることなんかは趣味と言えるだろうか、それくらいライトな感覚のことだろう。私にとってすべては情熱をかけておこなうもの=ロマンだと言いたい。

ロマンという概念が日本に輸入されるまで

それではロマンとは一体何だろうか?

ちょっと歴史的な退屈な話をしよう。

「ロマン」は、もともとの起源となっているのはフランス語で「(ロマンス語で書かれた)小説」を意味する「roman」で、「浪漫」と初めて漢字で表記したのは夏目漱石だそうだ。その当時(18~19世紀)、ヨーロッパではそれまでのギリシャ・ローマを中心とした理性、調和を重視する古典主義、合理主義への反発として想像性を重視するロマン主義(Romanticism)が盛んとなっていた。文学におけるロマン主義は、個人の感覚や空想的な自由の確立を目指しており、恋愛や自然の賛美、過去への憧憬など感情に訴えるような作品が特徴だ。日本では森鴎外の『舞姫』、樋口一葉の『たけくらべ』、与謝野晶子の『みだれ髪』などがロマン主義の影響を受けたとされる。

明治から大正にかけて広がった「浪漫」は、時に「ロマンス」や「ロマンチック」と同義の意味として用いられる例もあったようだが、現在では「ロマン」「ロマンス」「ロマンチック」はそれぞれ独立した言葉として少し異なったニュアンスを持つ。

これからのロマンのかたち

ロマンと言えば、「男のロマン」。現代におけるロマンは夢やこだわりを追い続けるニュアンスで、日本ならではの男の陶酔した孤独を感じられる。酒にロマンを感じる男、カブトムシを収集する男のロマン、ロマンは男を感じる。

それでは「女のロマン」はないのか?ロマンはもともとロマン主義、つまり「人間」の情動を生き生きと表現するもので男女の区別は無かった。それがなぜか日本ではロマンは男性的な様相を帯びた表現に変わり、女におけるロマンは「ロマンス」という形で感情の自由、特に恋愛における天使のような、透き通った明るい言葉にとって代わる。

1993年にリリースされた広瀬香美の「ロマンスの神様」は空前絶後の大ヒット曲だ。その当時、スキーが日本で男女の恋愛ブームを後押しした中で、ロマンスの神様は”Boy Meets Girl 幸せの予感 きっと誰かを感じてる~!”なんて歌ったりして恋愛を後押した。女性における関心ごとは恋愛だけではないはずだ。当時、男達だってこのロマンスの神様の下で現を抜かして自由な恋愛に明け暮れていた。

しかし私はこの「ロマンス」にあまり共鳴できない。曲自体は素晴らしいのだけど、やはり私はロマンスではなくてロマンに生きたい。

ロマンがなぜ女を感じられないのか、ということについて私は考えていた。ロマンが、己の中の理想を追い続ける孤独な旅だとしたら、それは地に足がついていない浮遊した男の姿が思い浮かぶ。私が男に対して感じる胸を締め付けられるようなあの感覚は、彼らが地上から消えかかっている危うい存在だから。女はコミュニケーションに特化していて横とのつながりを持っており、しっかりとこの世に存在できている。だからどうしてもロマンという現実離れした言葉が女にそぐわなく感じてしまう。

ここで注意しなければならないのは、そういう意味での男のロマンは女と壁を作ってしまうことである。ゲームに没頭する男が、それをロマンだと言って一晩中ゲームを続けても、女は理解しないだろう。壁を作るロマンは良くない。

男と女というのがあいまいな境界線上で、ロマンを語ることはできないだろうか?あるいはロマンでもない、ロマンスでもない、男女の隔てのない普遍的な新しい言葉が必要なのかもしれない。私は少なくとも、ロマンに近い何か情熱的な探求を私の中で大事にしたいが、そのロマンとは情熱と共に「優しさと清らかさ」も兼ね備えたものであれば、これからの時代もっと魅力をアピールしていけるものだと思っている。

その瞬間に惚れ込むこと。
死んでもいいと思える愛はありますか?
全力投球できる愛がありますか?
あなたが生きるために思いを寄せているものはありますか?
それがあなたの情熱であり、ロマンです。
情熱のないセックスはセックスですか?

それではまたお会いしましょう。ロマンの神様ドミニクでした。




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