Dominique Nachi

布団から読み解く日本の身体感覚、禅の思想、エロティシズム

今日、ベッドから布団に変えた。年が明けて、気持ちを改めて、布団で寝たくなった。机も椅子も全部捨てて、布団だけの部屋にしてみた。一体なぜでしょうか?吾輩は猫でしょうか?

一つの大きな理由は、私の身体が、家具から自由になりたかったから。

布団は場所を取らないし、片づけるのも簡単。必要なことだけに全集中するミニマルなスタイルだ。禅というのが無念の心境、無の価値観に立つおおらかな心のことだとしたら、その禅の思想に基づいて、邪念を排除し自分自身と向き合う「無の空間」を作り出すことに、布団は向いている。おのずと心が落ち着き、平静を取り戻せる感じがする。

西欧の机、椅子、ベッドはなぜこんなにも空間を独占し、こんなにも体はその形状に合わせて直立、直角の角度といった堅苦しい姿勢を必要とされるのだろう。それは西欧的近代に支配された人間の身体感覚だが、自然のもともとの形にはそぐわない。

私はベッドが嫌いなわけではない。ベッドというのはファンシーな寝具で、スペシャル感がある。特別な日に、ディズニーランドに行った日なんかはベッドで寝たい。ただどうも毎日寝るにしては、ベッドはどこか騒々しく、布団の方が心と体が安らぐように感じるのは私が日本で育ったからだろうか?ベッドが制限された四角いボックスで、その上に横になるというのは、畳で横になっていた身体はどうも身構えてしまうようだ。地上から切り離された身体はふかふかなベッドの弾力性の上に甲張り、布団のちょうどいい硬さと境界線のあいまいさが大地の上で身体をリラックスさせる。

ここで寝室が寝るためだけではなくて大人の親密な社交場でもあるということに、布団とベッドの面白い差がある。ベッドはその床からの高低差を利用した体位などがエロティックだったりするが、弾力のあるベッドの上に立つなどどこか罰当たりな感じがし、ふと我に返るとしらけることがある。それに対して布団の開けた地平線はより安定的で、動物的草原な感じがし、その土壌が制限なく広がっているゆえ、乱痴気騒ぎといった卑猥な空気さえ漂う。ベッドが非日常を演出する舞台であるのに対して、布団は空間そのものに染みついたエロさがある。日本人の雰囲気に興奮する変態気質が布団に現れているように思う。

以上。お読みいただきありがとうございます。




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